『ばけばけ』の中に登場する 蛇と蛙 は、視聴者の間で「気持ち悪い」「トラウマ級」として語られる存在です。
多くの人が違和感や不快感を抱きつつも、そのインパクトを無視できない存在です。
この記事では、 『ばけばけ』の蛇と蛙が気持ち悪いと感じる3つの理由 をまず考察し、次に 蛇と蛙の役割、声を担当した人物、視聴者・SNSでの声 を順に検証します。
『ばけばけ』の蛇と蛙が気持ち悪いと感じる3つの理由
『ばけばけ』において蛇と蛙が「気持ち悪い」と捉えられる主な理由は次の3つです。
- 視覚・造形および動きによる違和感
- 声・語り口のズレと落差
- 語り手としての曖昧な立ち位置
これらが重層的に作用し、視聴者に単なるナレーション以上の不快感を感じさせる構造になっています。
理由①:視覚・造形および動きの違和感
まず、蛇と蛙というモチーフ自体が、自然界では不気味さや警戒心と結びつくことが多い存在です。
蛇の滑らかな動き、蛙の跳ねる動作は、生理的に “捕食・被捕食” の構図を連想させ、不安を誘います。
『ばけばけ』で描かれる蛇と蛙は、CG や演出でリアルさとデフォルメ感の間を揺れる造形になっており、そのどちらにも傾ききらない中途半端さが “視覚的なズレ” を生みます。
リアルを追求した結果の不気味さ、逆に誇張された動きの不自然さ、どちらも視聴者に異和感を抱かせやすいのです。
また、蛇と蛙が背景や自然空間と混ざるように描かれつつ、照明・影・透過処理などで “浮いている” ように見える場面があることも、不安感を強めます。
自然と不自然が混在する見せ方が、視覚的な心地悪さを助長します。
理由②:声・語り口のズレと落差
次に、蛇と蛙には語り手的要素が与えられていますが、その語り口が視聴者の予想や常識的な語り手像とズレていることが、 “気持ち悪い” 感覚を引き起こします。
キャスティングは、お笑いコンビ・阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子さん(蛇役)、木村美穂さん(蛙役)です。語りを“純粋なナレーション”というより、ドラマ世界に入り込んだ登場者的な語り部として位置づける意図が感じられます。
語り口の選び方が、日常語や親しみを感じさせる調子を含みながら、異物である蛇と蛙がその調子で語ることで、視聴者には落差とズレを感じさせます。その落差感こそが、不快感や違和感を誘う要因となります。
語りの間合いや語尾、言葉の選び方などが “親しみと異質” の混じるバランスで提示されており、“気持ち悪い” 感覚を助長することになります。
理由③:語り手としての曖昧な立ち位置
三つ目の理由は、蛇と蛙が完全なナレーターでもなく、また通常の登場人物でもない中間的・曖昧な存在として描かれている点です。
蛇と蛙は物語の主要な行動には関わらず、「見守る者」「語りかける者」として振る舞います。
この曖昧性=境界性が、視聴者の中に “距離感の揺らぎ” を生じさせます。
語り手として外側にいるようで、画面上に現れ、しばしば視界に入って語り出す点が、“外/内” の区別をぼかすのです。
この混在感が、安心とも不安とも言い切れない “気持ち悪さ” を与えます。

以上の三つの理由が複雑に絡むことで、『ばけばけ』の 蛇と蛙 は単なる語り手を超えた存在感を放ち、「気持ち悪い」という感想を抱かせる存在になっているのです。
『ばけばけ』における蛇と蛙の役割とは?
『ばけばけ』における 蛇と蛙 の役割は、物語世界の “語り部的存在” でありながら、視聴者と登場人物の間に視点の余白をつくる“見守る存在”です。
完全なナレーターではなく、物語に“居る”語り手として、感情や意図を補足する役割を果たします。
語り手・見守り機能
蛇と蛙は物語の表に出て、場面ごとに語りかけたり、過去・未来を示唆する言葉を挟んだりします。
登場人物の物語を “見守る” 立場でありながら、視聴者に対して補助的な視点や解釈のヒントを提供する橋渡し役を担っています。
ただし、蛇と蛙は登場人物同士に介入するわけではありません。
語りはあくまで提示的なものであり、物語の流れそのものを操作するわけではないという点が重要です。
このような距離感を保つ存在であるからこそ、蛇と蛙はナレーション以上、登場人物未満の “中間者” として機能します。
モチーフ性と象徴性
蛇と蛙を語り手として採用した背景には、モチーフとしての寓意性もあります。
作中世界と現実世界をつなぐ象徴、自然と人間関係を映す鏡、物語のテーマ性を浮かび上がらせる視点としての意図が込められています。
また、蛇と蛙が “神出鬼没” に登場するという演出意図が語られており、場面転換や物語の「間」を補う機能を持たせるために、必ずしも全場面で登場しない設計になっているようです。
これにより、蛇と蛙が登場することで “視点の切り替え” が生まれたり、視聴者に予期せぬ語りが差し挟まれる緊張感が導入されたりします。



このように、蛇と蛙は単なるナレーターではなく、物語の語り部、視点補助、象徴的モチーフ、場面の余白を担う存在として複合的な役割を担っているのです。
『ばけばけ』の蛇と蛙の声は誰が担当?
『ばけばけ』における 蛇と蛙 の声は、お笑いコンビ 阿佐ヶ谷姉妹 の 渡辺江里子 さんが蛇を、木村美穂 さんが蛙を担当しています。
語りを単なるナレーション扱いにせず、登場人物性を持たせる声優起用の狙いが感じられます。
配役と起用意図
制作側は、語り手とキャラクター性を兼ね備えた声の起用を意図しており、語り口や親しみをもたらせる人選として阿佐ヶ谷姉妹を選んだとされています。
語り手でありながら視聴者に近い感覚をもたらせるタレント性が起用理由と考えられます。
また、語り役としての起用発表時には、佐ヶ谷姉妹を “登場人物” 扱いするという方針も示されています。
これにより、蛇と蛙が単なるナレーターでなく “物語世界に居る語り手” という印象が強まります。
録音方法も特徴的で、阿佐ヶ谷姉妹が同室で録音を行い、語り合うような掛け合いを取り入れているという情報もあり、その自然なやり取りが語りに反映されている可能性があります。
声の印象と効果
このキャスティングは、語り手としての異物性を和らげつつ、視聴者に親しみやすい語りを届ける狙いがあります。
語り口の軽さや間合いが、蛇と蛙の “気持ち悪さ” を緩和する緩衝材として働く側面もあります。
視聴者からは、阿佐ヶ谷姉妹らしい語り口が蛇と蛙のキャラクターに意外と合っているとする声や、掛け合いの調子に親しみを感じるという反応も見られます。
これによって、蛇と蛙の存在感が単なる違和感に留まらず、物語のスパイス的要素として受け入れられる可能性も出てきます。
『ばけばけ』の蛇と蛙に対する視聴者・SNSの声
『ばけばけ』の 蛇と蛙 に対しては、「気持ち悪い」と感じる視聴者が一定数いる一方で、「面白い」「語りがいいアクセントになる」など肯定的な声も多く見られます。
SNS をはじめとするネット上では、視聴者が感じた違和感や親しみが混ざったリアルな生の声が飛び交っており、蛇と蛙がドラマに与えるインパクトの大きさを物語っています。
以下、実際のコメント例を挙げながら、ポジティブ/ネガティブ双方の意見を整理します。
ネガティブな反響(「気持ち悪い」系の声)
まず、蛇と蛙に対して「気持ち悪い」「違和感が強い」と感じたという声は、特に初期の視聴者レビューやリアルタイム投稿で目立ちます。視覚・聴覚・語り手性のズレを指摘する投稿が多いです。
たとえば X(旧 Twitter)のリアルタイム検索では、「ばけばけ 蛇」での投稿にこうした言及が見られます。
“ばけばけ 巧みだな。家長制度の男尊女卑に蛇と蛙が文句を言うことで嫌悪感を和らげてる。”
この投稿は、蛇と蛙が物語のテーマ性と結びつく語り口を持つ点を肯定的に捉えつつも、「嫌悪感を和らげてる」と言う表現に、「嫌悪感」が出ること自体を前提に話をしている点が興味深い例です。
また、ブログ・記事サイトの感想には、「最初は違和感あったのに…」という声もあります。
“朝ドラ『ばけばけ』の“ヘビとカエル”最初は違和感あったのに阿佐ヶ谷姉妹で大正解のワケ!”
という見出しの記事も出ており、初見の違和感を語る書き込みが複数確認できます。
加えて、口コミサイトのドラマ評価欄には、蛇と蛙とは直接書かれていなくても、
“オヤジギャグというか、男臭さがすごすぎて、そこが根本的に嫌悪”
など、ドラマの持つ不快さを指摘する声が見られます。
これらは間接的に、蛇と蛙の語りや演出が“気持ち悪さ”と結びつけられている可能性を示唆しています。
こうしたネガティブな声の背景には、語り手としてのズレ、不自然な登場、視覚・聴覚上のインパクトの強さ、そしてドラマ本筋との溝を感じる視聴者心理があると考えられます。
肯定的・興味を惹いた反響
一方で、蛇と蛙の存在をむしろ楽しんでいる視聴者・投稿も数多く見られます。
語りの掛け合いや視点の切り替えを歓迎する声が目立ちます。
例として、当該ドラマ紹介記事には、次のような SNS の反応が紹介されています:
“阿佐ヶ谷姉妹のナレーション、『夜だけど朝なのよ~!』でアホほど笑った 怖い話苦手な人向けにナレーションは明るくしてるのかな”
“ばけばけ、初回見ただけやけど 面白そう。子役の女の子、めちゃ可愛い。 阿佐ヶ谷姉妹も良い味出してる~”
“リアタイ!! のっけから蛇と蛙(cv阿佐ヶ谷姉妹)の勢いに笑わされ 優しい優しい物語になりそうでこれは期待大です#ばけばけ”
これらのコメントからは、視聴者が蛇と蛙の語りを “ユーモア要素” として受け取る傾向、あるいはその異物感と親しみのコントラストを面白がる傾向がうかがえます。
また、「蛙と蛇が語り部なのが中々斬新で面白い」という投稿もあります。
語り手モチーフとしての新鮮さを評価している声です。
このように、ネガティブな違和感を抱きつつも、それを拒否しきれず “引き込まれる興味” を持つ視聴者層が存在することが、蛇と蛙の語りの強さを表しています。
視聴者反応の傾向
これら具体的なコメントから、次のような傾向が見えてきます。
反応の種類 | 主な論点・キーワード | 背後にある視聴者感覚 |
---|---|---|
ネガティブ系 | 違和感・不自然さ・語りの割り込み感・「嫌悪」 | 演出と語りのズレを受け入れづらい視点 |
肯定・興味系 | ユーモア・親しみ・斬新さ・期待感 | 異質な語りの “スパイス性” を楽しむ視点 |
混在感 | 違和感と引き込みの両立 | 拒否だけでなく、演出意図を読みたい視点 |
特に印象的なのは、「最初は違和感が強かったが、語りのタイミングや掛け合いを楽しめるようになった」という投稿が複数見られることです。
視聴を重ねるうちに、ばけばけの蛇と蛙が気持ち悪いという感覚が薄れ、むしろ語り要素が面白さ・味わいに転じるケースもあります。
また、蛇と蛙がドラマ本筋の雰囲気と距離を取る存在であることから、語り部の介入の頻度やタイミングへの批判・賛美が見られます。



登場の “唐突さ” や “割り込み感” を嫌う層と、語りを視点の切り替えや解釈補助として受け入れる層の二極化傾向も見られます。
まとめ
本稿では、 『ばけばけ』の蛇と蛙がトラウマ級・気持ち悪い と話題になる背景を以下の視点から整理しました。
- 気持ち悪いとの印象を生む三つの理由:視覚・造形の違和感、声・語り口のズレ、語り手としての曖昧な立ち位置
- 蛇と蛙の役割:語り部的存在、視点補助、象徴モチーフと場面の余白補填
- 声の担当者:阿佐ヶ谷姉妹(渡辺江里子:蛇、木村美穂:蛙)および語り演出の狙い
- 視聴者・SNSの声:「気持ち悪い」と感じる反応と、興味を抱く評価の共存
蛇と蛙は、視覚・聴覚・語りのズレを通じて “異物性” を帯びながら、物語世界に柔らかな視点の余白と解釈の豊かさをもたらす存在です。
「気持ち悪さ」はその異物性を感じさせるための演出装置であり、視聴者がそれをどう受け取るかが、ドラマ体験の深みを変える鍵になります。



今後、蛇と蛙がどの場面でどのように語りを差しはさむか、その語りが物語テーマとどう響き合うかに注目しながら視聴を続けていくことで、蛇と蛙の存在意義と “気持ち悪さ” の意味をより深く味わえるでしょう。